山崎邦正の若い頃がアイドル級?月亭方正のイケメン時代を徹底追跡
山崎 邦正 若い 頃の姿を、いまの世代はどれほど知っているだろうか。落語家・月亭方正として高座に上がり、着物姿で円熟味を帯びた話芸を披露する現在の姿からは、俄かには信じがたい事実がある。かつて彼はお笑い界きっての美少年として知られ、劇場前に長蛇の列を作る女性ファンを熱狂させるアイドル的人気を誇っていた。
数々のバラエティ番組で見せてきたヘタレキャラや絶叫リアクションの印象が強烈なだけに、山崎 邦正 若い 頃のポートレートや初期映像が掘り起こされるたび、SNSでは「信じられない」「完全に正統派ジャニーズ系」といったどよめきが走る。昭和から平成、そして令和へと時代が移り変わるなかで、彼のパブリックイメージは幾度も反転してきた。その原点にあったのは、まぎれもない端正な美貌だった。
超美形アイドル級と騒がれた素顔!現在の月亭方正からは想像もつかないモテ伝説
涼しげな目元に、すっと通った鼻筋。引き締まったフェイスラインに、どこか憂いを帯びた甘いマスク。当時の写真を見れば、誰もが息を呑む。現在のふくよかで親しみやすい風貌とは完全に別人の空気をまとっていた。
吉本興業の若手劇場に出演していた時代、彼の人気はすさまじかった。出待ちのファンが押し寄せ、ファンレターやプレゼントの山が楽屋を埋め尽くしたという逸話は数知れない。同期や先輩芸人たちも「あいつの顔は反則だった」と口を揃えて証言している。ただ立っているだけで黄色い歓声が飛ぶ。まさに「劇場型アイドル」の先駆けのような熱狂が、そこには確かに存在していた。
TEAM-0結成とお笑い界への殴り込み――黄色い歓声に包まれた吉本興業の秘蔵っ子
1988年、NSC大阪校の6期生として芸人人生を歩み始めた彼は、軌保博光(現・喜多川泰樹)とともにコンビ「TEAM-0(チームゼロ)」を結成した。吉本興業が東京進出の尖兵として期待を寄せていたホープである。
漫才ブームの熱気冷めやらぬお笑い界において、TEAM-0の放つ存在感は異色だった。当時の若手芸人に求められた泥臭さや粗削りな荒々しさとは対照的に、山崎邦正にはどこか都会的で洗練された佇まいがあった。ネタの面白さ以上にビジュアルが先行する状況に本人は葛藤を抱えつつも、劇場を埋め尽くす女性客の視線を一身に集めていたことは間違いない。だが、美男子としての順風満帆なレールは、ある怪物たちとの邂逅によって大きく狂い、そして奇跡的な転生を遂げることになる。
日本テレビ『ガキ使』の洗礼!松本人志が引き出した唯一無二のリアクション
日本テレビの深夜番組として産声をあげた『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』へのレギュラー出演が、彼の芸人人生を決定づけた。ダウンタウンという絶対的なカリスマの前に放り込まれた青年・山崎邦正は、容赦のない洗礼を浴びることになる。
松本人志は、彼の内側に眠る「圧倒的な小物感」と「追いつめられたときの人間の滑稽さ」を瞬時に見抜いていた。美少年としてのプライドは剥ぎ取られ、理不尽なドッキリに怯え、蝶野正洋の方正ビンタに涙目になる。松本人志の容赦ないフリに対し、顔を歪ませて絶叫する姿は、いつしか日本中を爆笑の渦に巻き込むキラーコンテンツへと昇華していった。イケメンであることを捨て去り、己の弱さをすべて曝け出した瞬間、彼は単なる若手芸人から唯一無二のコメディアンへと変貌を遂げたのだ。
子どもたちを釘付けにした『天才てれびくん』――お茶の間に浸透した親しみやすさ
深夜帯で狂気じみた笑いを生み出す一方で、夕方の顔としても強烈な足跡を残している。NHK教育(現・Eテレ)の看板子ども番組『天才てれびくん』シリーズへの出演だ。
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、司会やレギュラーとして番組を牽引した彼の姿は、当時の子どもたちの記憶に深く刻まれている。ダウンタウンの前で見せる情けない姿とは打って変わり、てれび戦士たちを温かく見守り、時に体を張って番組を盛り上げる兄貴分。どこか憎めないキャラクターと柔らかな物腰は、世代を超えたお茶の間の安心感へと直結していた。過激なお笑いと教育番組の架け橋を軽やかに行き来する器用さは、彼の隠れた才能だったと言える。
Huluアーカイブ再評価の波!美男子から愛されキャラへと変貌を遂げた真相
近年、動画配信サービス「Hulu」などで過去のアーカイブ作品が手軽に視聴できるようになり、新たな世代がかつての映像に触れる機会が急増した。これが「美男子・山崎邦正」再評価の火種となっている。
初期の配信回を観た若い視聴者がまず驚くのは、画面に映る驚くほどシュッとした美青年が、次第に丸みを帯び、汗まみれになっていく経年変化のプロセスそのものだ。なぜ彼は激変したのか。過酷なバラエティ番組の現場で生き残るための肉体改造、あるいはストレスによる体重増加など様々な憶測を呼んだが、真相は極めてシンプルだ。彼は「笑われること」の快感を知り、美意識をかなぐり捨てて道化に徹することを選んだのである。自らの容姿への執着を手放したことで、彼は視聴者から永続的に愛される普遍的なキャラクターを獲得した。
いじられ芸人から落語の世界へ――「看板」を脱ぎ捨てて手に入れた芸の極み
40代を迎え、芸人としてひとつの頂点を極めた彼が下した決断は、お笑い界を震撼させた。月亭八方への弟子入り、そして「月亭方正」への改名である。
落語の世界に飛び込んだ当初、世間は単なるタレントの余技だと冷ややかに見ていた。だが、高座に上がり続ける彼の覚悟は本物だった。古典落語と真摯に向き合い、何年もかけて稽古を重ね、自らの身体に噺を染み込ませていく。若き日の美貌、バラエティで培った間の取り方、醜態を晒して磨かれた人間味のすべてが、落語の登場人物たちに血肉を与えていった。美男子からいじられ芸人、そして伝統芸能の担い手へ。看板を脱ぎ捨て続けた男の生き様は、歳月を重ねるほどに深みを増し、いま最も贅沢な輝きを放っている。 (出典: 山崎 邦正 若い 頃(Yahoo!ニュース))