今くるよ師匠の知られざる素顔とは?関係者が明かす最後の教え
くる よ 師匠の姿が舞台袖から見せる鋭い眼光と、出囃子が鳴った瞬間に弾ける満面の笑顔。あの圧倒的な熱量の余韻は、劇場を包む空気の中に今も確かに息づいている。派手なスパンコールの特注衣装を揺らし、自らのお腹を景気よく叩いて放つ「どやさ!」のひと言。それだけで客席が地鳴りのような爆笑に包まれた光景を、演芸ファンなら誰もが鮮明に覚えているはずだ。
昭和から平成、そして令和へと激動したお笑い史の中で、多くの後輩たちが道標として仰ぎ見たくる よ 師匠の背中。男社会の壁が分厚かった当時の芸界へ飛び込み、相方の今いくよさんと共に切り拓いた道は、単なる女性コンビのブレイクという枠組では到底収まりきらない。劇場の楽屋口を通れば、彼女が遺した温もりとストイックな舞台への矜持が、今なお芸人たちの胸を熱く焦がしている。
女性漫才の地平を切り拓いた半世紀――「いくよ・くるよ」が越えた壁
高校時代、ソフトボール部のキャッチャーとピッチャーとしてバッテリーを組んでいた二人が、吉本興業の門を叩いたのは1970年のことだった。女性漫才といえば音曲漫才や夫婦漫才が主流だった時代。マイク一本の前に立ち、言葉の速射砲と肉体的なアクションで勝負するしゃべくり漫才の世界に、若い女性ふたりで飛び込むこと自体が無謀と囁かれた。
「女の漫才はウケない」「色気がないと持たない」。浴びせられた偏見の言葉は数知れない。だが、二人は折れなかった。今いくよさんの繊細でシャープなツッコミと、今くるよさんの豪快極まるボケ。互いの体型や化粧を容赦なくネタにしつつも、底抜けに明るく、決して誰かを嫌な気持ちにさせない。その絶妙なバランス感覚こそが、泥臭い伝統の上方漫才にまったく新しい風を吹き込んだ。
ブームを牽引した『花王名人劇場』と『THE MANZAI』の熱狂
1980年代初頭、日本中を巻き込んだ漫才ブーム。その震源地となったのが、関西テレビ制作の『花王名人劇場』であり、フジテレビの『THE MANZAI』だった。ツービートやB&B、島田紳助・松本竜介らがスピード感あふれるネタで若者を熱狂させる中、今いくよ・くるよの存在感は際立っていた。
細身で最新ファッションを気取るいくよさんと、原色尽くしのドレスでお腹を突き出すくるよさん。視覚的なコントラストの鮮烈さは、お茶の間を一瞬で釘付けにした。全国区のスターダムを駆け上がりながらも、二人の足元は常に寄席の板の上にあった。テレビの瞬発力に溺れることなく、劇場の舞台で鍛え上げたテンポと間合いをブラウン管へそのまま持ち込んだこと。それが、一発屋で終わらない息の長い国民的人気へと結びついていく。
今くるよ師匠の知られざる素顔とは?関係者が明かす独占エピソードと最後の教え
スポットライトを浴びる豪快な姿とは裏腹に、楽屋での今くるよ師匠は誰よりも周囲に気を配る繊細な人情家だった。舞台袖のパイプ椅子に腰掛け、出番を終えて戻ってくる若手一人ひとりの表情をじっと見つめては、「今日のネタ、あそこの間が良かったで」「ご飯ちゃんと食べてるか?」と優しく声をかける。売れない時代を過ごす後輩を見つけると、財布からそっと折りたたんだ小遣いを握らせる姿は劇場の日常だった。
「舞台はお客様への礼儀。どんなにしんどいことがあっても、マイクの前に立ったら日本一の笑顔を見せなはれ」
近しい関係者が明かす、師匠が晩年まで繰り返し口にしていた言葉だ。身にまとうド派手な衣装も、単なるウケ狙いではない。「高い木戸銭(入場料)を払って見に来てくれはるんやから、客席に入った瞬間からパッと明るい気持ちになってもらわなアカン」。衣装の生地選びからスパンコールの縫い付けまで妥協を許さなかったプロ意識の根底には、客席に対する深い敬意と感謝が常にあった。
2015年に生涯の相方である今いくよさんが旅立った際、計り知れない喪失感に襲われながらも、師匠は舞台に立ち続けた。「いくよちゃんが愛した漫才を、私が終わらせるわけにはいかん」。独りになってもなお劇場へ通い続け、後輩たちを見守り続けたその生き様そのものが、上方演芸界に残された最大の教えだった。
なんばグランド花月の舞台袖に刻まれた「どやさ」の誇り
本拠地であるなんばグランド花月。劇場の楽屋や舞台袖には、今も彼女が残した強烈な息吹が充満している。代名詞となった「どやさ」というフレーズは、もともと京都弁の「どうなの?」や「どうよ?」という意味合いから生まれたものだ。
だが、くるよ師匠の手にかかると、この言葉は単なる口癖を超えた魔法の呪文へと進化した。嬉しいときも「どやさ」、驚いたときも「どやさ」、理不尽な目に遭ったときすら笑い飛ばすように「どやさ!」。森羅万象すべてを肯定し、悲哀すらも笑いに昇華してしまう力強さがあった。舞台袖で出番を待つ芸人たちは、その声を聞くだけで肩の力が抜け、勇気をもらっていたという。
BSよしもと等で再評価が進む上方漫才の真価とお笑い芸能界への遺産
アーカイブ映像の再放送や追悼特集がBSよしもとなどで組まれるたび、SNSでは若い世代からの驚きの声が上がる。リアルタイムで劇場を体験していない層が、二人の漫才の圧倒的な構成力とテンポの心地よさに目を見張るのだ。奇抜なキャラクターの奥底に流れる、徹底的に無駄を削ぎ落とした話術の切れ味。それこそが、時代を超えても風化しない理由に他ならない。
現在のお笑い芸能界を見渡せば、第一線で活躍する女性芸人たちの姿が当たり前になった。だが、その道を切り拓くために、どれほどの偏見と戦い、どれほどの汗を流してきた先人がいたか。今くるよという怪物が切り拓いた轍(わだち)の上を、現代の表現者たちは走っている。
上方漫才大賞の栄光から現在へ――受け継がれる「笑いのバトン」
1984年、第19回上方漫才大賞の大賞を受賞。名実ともに上方演芸界の頂点へと上り詰めた瞬間だった。女性コンビとしての大賞受賞は、当時の演芸史を塗り替える快挙であり、後に続くすべての芸人たちに大きな希望を与えた。
賞レースの栄誉に甘んじることなく、生涯現役の芸人として舞台の匂いを愛し続けた人生。その魂は、今なお劇場でマイクを握る無数の漫才師たちの中へと、確実に受け継がれている。客席が沸き立ち、誰かが腹を抱えて笑うとき、その劇場の天井近くには、あの豪快で温かい「どやさ!」の声が今も響いているはずだ。 (出典: くる よ 師匠(Yahoo!ニュース))