阿部寛の原点とは?モデル全盛期と借金苦から這い上がった逆転劇
阿部 寛 昔のビジュアルを初めて目にした若い映画ファンが、SNS上で「CGのような美貌」「昭和・平成の次元を超えている」と絶句する現象が起きている。189センチという圧倒的な長身に、ギリシャ彫刻を思わせる陰影の深い顔立ち。いまや日本映画界の重鎮として揺るぎない地位を築いた阿部寛だが、その華やかなスクリーンの裏側には、華々しい脚光と底知れぬ挫折が交錯する激動の歳月が刻まれていた。
配信サービスの普及に伴い過去の出演作が手軽に観直されるいま、阿部 寛 昔のキャリアを再検証すると、単なるシンデレラストーリーとは真逆の生々しい足跡が浮かび上がる。彼はいかにして「背が高すぎる元モデル」という重い烙印を拭い去り、怪優と呼ばれる領域にまで到達したのか。その軌跡を紐解いていく。
『メンズノンノ』専属モデル時代から知られざる挫折、そして大ブレイクまでの軌跡
阿部寛の芸能人生の幕開けは、まさに熱狂そのものだった。中央大学理工学部に在学中の1985年、集英社が主催した「集英社第3回ノンノ・ボーイフレンド大賞」で優勝を飾る。これを契機に、翌年創刊された伝説的男性ファッション誌『MEN'S NON-NO』の専属モデルに抜擢された。
創刊号からなんと43号連続で表紙を飾り続け、ギネスブック級の記録を樹立した当時の阿部は、まさにカリスマだった。街を歩けば黄色い歓声が飛び交い、1987年には映画『はいからさんが通る』で俳優デビュー。アイドル的な人気を博し、レコードまでリリースするトントン拍子の出世街道を歩む。
だが、その栄光は長く続かなかった。バブル特有の熱気が引くと同時に、「カッコいいけれど演技が一本調子」「背が高すぎて共演女優と並べない」という業界内のシビアな声が彼を直撃する。主役級のオファーは潮が引くように消え去り、阿部は瞬く間にスポットライトの当たらない日陰へと追いやられていった。
バブル崩壊と「背が高すぎる」苦悩――数億円の借金を背負ったどん底の真実
俳優としての仕事が激減した時期、阿部をさらなる悲劇が襲った。20代前半の好景気の波に乗り、資産運用として手を広げていたマンション投資が、バブル崩壊によって大暴落したのだ。
残されたのは、数億円とも囁かれた巨額の負債。仕事はない、借金は膨らむ。かつて表紙を飾り立てたトップモデルは、生きるためにパチンコで食い繋ぎ、プライドを捨てて地方の営業回りや再現ドラマ、端役に縋り付く日々を余儀なくされた。当時の日本のテレビドラマ界において、190センチ近い身長は「画面に収まりにくい」という理由でキャスティング担当者から敬遠される要因でしかなかった。
「自分には何の武器もない」。そう痛感した阿部は、美男子という看板を自ら粉砕することを決意する。泥臭い役でも、悪党でも、みっともない三枚目でも、カメラの前に立てるなら何でも演じる。約3年間に及んだ完全な沈黙期と、その後の泥臭い下積みこそが、のちに開花する演技の強靭な背骨を作った。
『トリック』で見せた怪演!コメディドラマの開眼が生んだ大逆転
どん底を這いずり回る阿部に、決定的な転機が訪れる。舞台演出家・つかこうへいとの出会いだ。1993年の舞台『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』でバイセクシャルの刑事部長役を熱演し、役者としての肉体と感情を極限まで絞り出されたことで、殻を完全に破り去った。
そして2000年、堤幸彦監督が手がけた『トリック (テレビドラマ)』が放送を開始する。仲間由紀恵演じる奇術師とコンビを組む若手物理学者・上田次郎役で、阿部はこれまでにない新境地を切り拓いた。プライドだけは異常に高いが臆病で小心者、巨躯を折り曲げて逃げ惑うコミカルな怪演は、視聴者に強烈なインパクトを残した。
かつて彼を苦しめた「日本人離れした体格」が、一転して唯一無二の喜劇的アイコンへと昇華した瞬間である。正統派二枚目から異形のコメディドラマ俳優への脱皮。この成功が、後の映画『テルマエ・ロマエ』における古代ローマ人ルシウス役という、常人には不可能なハマり役を呼び寄せることになる。
是枝裕和監督ら巨匠に愛される理由と『下町ロケット』『ドラゴン桜』の重厚感
コミカルな演技で確固たる支持を得た阿部は、シリアスな人間ドラマでも凄まじい存在感を発揮し始める。映画監督の是枝裕和は、阿部寛という俳優が持つ「情けなさ」と「愛らしさ」の機微を誰よりも愛した表現者の一人だ。
映画『歩いても 歩いても』や『海よりもまだ深く』において、阿部は夢を諦めきれない中年のリアルな哀哀と、母親の前で見せる子供っぽさを見事に表現した。過度な誇張のない、日常の息遣いそのものを演じ切る力量は、日本映画界のトップランナーとしての評価を決定づけた。
一方で、大衆を熱狂させるエンターテインメントの牽引力も群を抜く。『ドラゴン桜』で見せた冷徹ながら本質を突く弁護士・桜木建二や、『下町ロケット』の佃航平社長役で見せた熱血と情熱。挫折の味を痛いほど知る阿部だからこそ吐き出せるセリフの重みは、世代を超えて日本中の視聴者を鼓舞し続けている。
名物ホームページの爆速伝説と「茂田オフィス」が守り抜いた俳優魂
阿部寛を語る上で欠かせないのが、インターネット上で長年愛され続けている「公式ホームページ」の存在だ。個人サイト黎明期を思わせる極めてシンプルなHTMLで作られたそのページは、現代の肥大化したウェブサイトとは対照的に、クリックした瞬間に表示される「爆速サイト」としてネットミーム化している。
所属事務所である「茂田オフィス」は、阿部がどん底にあえいでいた時代から苦楽を共にしてきた個人事務所である。無駄な虚飾を排し、本業である演技一本で勝負し続けるという事務所のスタンスは、あの飾り気のないホームページの佇まいそのものだ。大手の資本に頼らず、作品の質と役者の実力だけで生き抜いてきた彼らの歩みは、派手なセルフブランディングが先行しがちなエンタメ界において、特異で清々しい矜持を示している。
U-NEXTやNetflixで再燃する過去作ブーム――時代を超えて響く阿部寛の凄み
世界規模の動画配信が日常に定着した現在、NetflixやU-NEXTといったプラットフォームでは、阿部寛の過去作アーカイブが世代を超えて再評価されている。若き日の端麗なモデル姿に息を呑んだユーザーが、次の瞬間には『トリック』で爆笑し、『下町ロケット』で胸を熱くする。
挫折を知らないエリート俳優であれば、バブルの終焉とともに時代の遺物として消えていたかもしれない。背の高さを持て余し、借金に怯え、それでも表現の場を求め続けた泥臭い執念があったからこそ、彼は自らのコンプレックスを最強の武器へと鍛え直すことができた。
端整な容姿という天賦の才を一度すべて削ぎ落とし、血肉の通った生身の表現者として甦った阿部寛。彼が積み重ねてきた数々の傷跡と不屈の足跡は、いまなお色褪せることなく、見る者に鮮烈な感動を与えている。 (出典: 阿部 寛 昔(Yahoo!ニュース))