日本最古の駄菓子屋・上川口屋が挑む存続の危機と240年の真実
上 川口 屋の木製ガラスケースを覗き込むと、色あせた駄菓子の紙箱と、すりガラス越しに差し込む柔らかな光が目に飛び込んでくる。東京・豊島区の雑司が谷。近代的な高層マンションが立ち並ぶ池袋駅からほんの15分ほど歩いただけで、まるで時間の流れが歪んだかのような静寂に出くわす。店先に並ぶのは、1個数十円のきなこ棒、酢昆布、瓶に入った色とりどりの飴玉だ。小銭を握りしめた子どもたちの歓声と、かつて子どもだった大人たちの郷愁を吸い込み続けてきた木造の小さな店構えは、ただそこにあるだけで訪れる者の胸を締め付ける。
都心に残された奇跡とも呼ぶべき上 川口 屋の歴史は、今まさに大きな曲がり角を迎えている。江戸時代から続く暖簾をたった一人で守り続ける店主の高年齢化、全国的な駄菓子メーカーの相次ぐ廃業、そして老朽化が進む歴史的建築物の維持管理――。ノスタルジーという甘美な言葉の裏側で、この文化財級の店舗が直面している現実はあまりにも過酷だ。240年以上にわたり受け継がれてきた「街の記憶」は、果たして次の時代へと手渡されるのか。現場で起きている知られざるドラマを追った。
徳川家治の治世から続く240年の来歴――鬼子母神境内に根を下ろした奇跡
創業は天明元年(1781年)。第10代将軍・徳川家治が江戸城に座し、田沼意次が幕政を牛耳っていた時代である。浅間山の大噴火や天明の大飢饉が起きる直前、江戸の庶民文化が爛熟期を迎えていたころに、雑司が谷鬼子母神の境内で産声をあげた。加賀藩前田家下屋敷の御用商人として菓子を納めていたというルーツを持ち、創業当初は飴屋として参拝客で賑わっていたと伝えられる。
以来、幕末の動乱、関東大震災、そして東京を焦土と化した第二次世界大戦の空襲を幾度となくくぐり抜けてきた。鬼子母神堂の厳かな佇まいと樹齢数百年の大公孫樹(オオイチョウ)に見守られながら、上川口屋はただひたすらに同じ場所で飴や駄菓子を売り続けてきたのである。日本最古の駄菓子屋と呼ばれる所以は、単に創業年が古いからだけではない。一度も移転することなく、創業の地である境内の片隅に立ち続けている点において、類例を見ない文化的価値を誇っている。
13代目店主・内山雅代氏が守る「子どもたちの社交場」の原風景
店先に腰を下ろし、訪れる客を温かな眼差しで迎えるのは、13代目店主の内山雅代氏だ。数十年にわたりこの小さな売場を守り続け、常連客からは親しみを込めて呼ばれている。店先には看板猫が丸くなり、通り抜ける風が風鈴を揺らす。内山氏の手によって手入れされた木製のショーケースは、昭和の面影をそのまま現代に留めている。
「10円、20円のお菓子でも、子どもにとっては自分で選んで自分のお金で買う最初の大切な体験だからね」
内山氏はかつてそう語っていた。計算がおぼつかない小さな子どもが小銭を差し出せば、気長に待ち、時には正しい買い方を教える。ここは単なる物売りの場ではなく、地域社会が子どもたちを育てるための温かなシェルターであり、社会のルールを学ぶ教育の場でもあった。コンビニエンスストアの機械的なセルフレジでは決して代替できない血の通った対話が、今もこのカウンター越しに静かに息づいている。
メディアが熱視線を送る理由――『ドキュメント72時間』からNetflix配信作まで
上川口屋が放つ唯一無二の佇まいは、数多くの映像作家やクリエイターたちを惹きつけてやまない。とりわけ市井の人々の営みを定点観測するNHKの人気番組『ドキュメント72時間』で舞台となった回は、放送から年月が経った今も「伝説の回」として語り継がれている。境内の片隅を定点観測したその映像には、日々に疲れた会社員が立ち寄り、遠い日の記憶を噛みしめるように駄菓子を買っていく姿が克明に記録されていた。同エピソードは現在もNHKオンデマンドで多くの視聴者に選ばれ続けている。
さらに近年では、人気コミックを実写化したドラマ『さぼリーマン 飴谷甘太朗』がNetflixを通じて世界各国へ配信されたことで、その名声は国境を越えた。スイーツを愛する主人公が恍惚の表情を浮かべる舞台として描かれたことで、昭和レトロ文化に強い関心を寄せるインバウンドの観光客が「聖地巡礼」として雑司が谷を訪れる現象も定着した。日本の日常と歴史が交差する生きた歴史・文化ドキュメンタリーの現場として、国内外から熱い眼差しが注がれている。
昭和レトロ文化の熱狂と駄菓子・和菓子小売業が直面する構造的危機
しかし、世間の昭和レトロ文化への熱狂とは裏腹に、駄菓子・和菓子小売業の足元はかつてない危機に瀕している。最も深刻なのは、駄菓子を供給する零細メーカーの後継者不足と廃業ラッシュだ。ここ数年だけでも、誰もが知る有名駄菓子の生産終了や工場の閉鎖が相次いだ。原材料費の高騰やエネルギー価格の上昇分を、1個数十円の単価に転嫁することは構造的に極めて困難だからだ。
かつて日暮里などの問屋街から仕入れていた駄菓子のバリエーションは年々狭まり、仕入れルートの確保そのものが綱渡りの状態にある。どれだけ客が詰めかけても、利益率は極めて低い。家業としての持続可能性を保つことが構造的に難しくなっている現実は、上川口屋一軒の努力だけで解決できる領域を遥かに超えている。
【独自取材】存続の危機と2026年最新動向――日本最古の駄菓子屋が選ぶ未来
鬼子母神境内で240年以上続く伝統の裏で、今まさに現実的な存続問題が浮上している。内山雅代氏の高齢化に伴う店舗運営の負担軽減と、江戸時代末期から風雨に耐えてきた店舗建屋の保全問題だ。重要文化財に指定されている鬼子母神本堂とは異なり、境内の売店である上川口屋の木造家屋は公的な直接修繕支援の枠組みに入りにくいという複雑な事情を抱えている。
2026年に入り、地域コミュニティと行政側にも新たな動きが出始めた。豊島区観光協会や地元の商店街振興組合、文化財保存に携わる有志グループの間で、上川口屋を「地域固有の生きた民俗遺産」として正式に位置づけ、民間主導の保存基金やサポーター制度を創設する構想が本格的に議論され始めている。単なる店舗としてではなく、地域共有の文化財として次世代へ継承するためのバックアップ体制の構築だ。
「無理をして形だけ残すのではなく、雅代さんが無理なく店を開け続けられる環境を作ること。そして万が一の際にも、この場所と歴史が散逸しない仕組みを今整えなければ手遅れになる」と、地元のまちづくり関係者は危機感を露わにする。伝統の重みと個人の暮らしをいかに調和させるか。2026年の今、日本最古の駄菓子屋は存続に向けた正念場を迎えている。
街の記憶をどう受け継ぐか――駄菓子の枠を超えた「生きた文化遺産」
上川口屋が売っているのは、単なる駄菓子ではない。それは、下町のぬくもりであり、誰もがかつて持っていた無邪気な好奇心であり、240年間途切れることなく続いてきた「人と人とのささやかな触れ合い」そのものである。
再開発によって画一的な商業ビルが乱立し、都市の景観が急速に平坦化していく東京において、樹齢数百年を誇るイチョウの木陰に佇むこの小さな店は、街が本来持っていた奥行きと記憶を私たちに思い起こさせてくれる。失われてしまえば、どれだけのお金を積んでも二度と買い戻すことはできない。上川口屋の引き戸が開くガラガラという音を、未来の子どもたちへどう残していくのか。その問いは、効率とスピードばかりを追い求めてきた現代社会を生きる私たち全員に投げかけられている。 (出典: 上 川口 屋(Yahoo!ニュース))